歴史人類学と文化史

ご無沙汰しております。
講義の準備と研究に追われて、なかなか更新する時間がとれませんでした。
4月に入り、環境が変化して、ようやく生活のリズムをつかんできました。
といっても、母校で勤務しているせいもあり、生活の場が変わったわけではないのですが。
しかし、身分が大学院生から嘱託講師に変わったことによって、大学の見え方も変化しました。
一番大きな変化は、大学院生活を過ごした共同研究室から出たことです(まあ、ちょくちょく顔を出したりはしているのですが)。
大学院に8年間いて、毎日のようにキャンパスに通っていても、そのほとんどの時間は共同研究室で過ごしたわけで、一般の学生たちの生活の場と接触点があったのは、学食ぐらいなもんです。
いまの主な仕事場は大学の図書館と一般学生が使用するラウンジです。
自宅は研究室から引き揚げた研究書に占領され、とても仕事場としては機能しないので。
図書館とラウンジには、当然、学生たちがたくさんいるんですが、この二つの場所は生態系が異なることに気付いて、いま大学はこんなことになっていたのかと、ウラシマタロウ現象を感じたりしています。
ラウンジには、その構成員のすべてではないのですが、外国からの留学生が多い。
もちろん日本人の一般学生のほうが多いんですが、時間帯によっては、留学生ばかりだったりします。ちなみに、現在、ラウンジでこのブログを書いているのですが、留学生がたくさんいます。
他方、図書館ですが、留学生は少ないというのは、施設の必要度から考えると仕方ないのかもしれません。で、ほとんど日本人の学生ばかりなんですが、彼らは図書館で何をしているかというと、そのほとんどが資格試験の勉強です。それもかなり熱心なように見えます。
昔からこういう学生はいたんでしょうが、彼らの姿を現在の日本の経済状況から鑑みると、その切実さを考えざるを得ません。
こういう風に、一般の学生たちのなかで生活するのは非常に刺戟になっています。
彼らが何を考え、何に関心を持ち、どのように生きていこうとしているのかを、彼らの生活する姿を見ながら考えるのは、研究者としての自分が考えるべきことのヒントをもらっているように思います。
他方、いかに自分が隔離された空間で生きていたのかということに愕然としていたりもします。
大学院は一般社会とは違うことぐらいはわかっていますが、頭では分かっていることと、実際、皮膚感覚で体験することにはギャップがあったりします。
本当に、大学院とは隔離空間だったんだなと思いつつも、そういう空間と時間を得られたことは、きっと贅沢なことなんだろうと思います。
大学院という隔離空間にいなければ、一般のキャンパスの姿をこれほど新鮮には感じなかったでしょう。
普通で、一般とされているもののなかに、面白い現象がたくさんあることを感覚的に知ることは、日常性のなかで生きていくことにおいて重要なファクターとなるとも思ったりします。
そういう意味で、一般に考えられている以上に、大学院生というのは、日常性を生き抜くスキルを持っているのではないかと、その可能性を信じてみたりもします。
とはいえ、逆の事例、まったく日常性のなかで生きていけない、というより社会のなかで生きていけないであろう事例もたくさん見てきたりもするんですが。

もうひとつ、「出」大学院による変化をあげたいと思います。
それは、一般学生と講義という形ではあるんですが、専門的な話しをしなければならないという状況です。
大学院生どうしの会話というのは、専門の話をしていても比較的簡単だったりします。
共通の専門知識があり、専門用語を使えば、話そうとしていることの微妙なニュアンスを汲み取って、お互いに理解する(多くの場合、そういう幻想だったりするけれど)ことができたりします。
これは、一般の学生にはできません。
専門用語を使わず(実は、あえて使ってたりするんですが)、抽象的なことを説明するのは非常に難しく、頭を使うことだったりします。
講義の準備をすると、ヘトヘトだったりします。
学会発表なんかだと、ここだというポイント、ポイントで専門的な言葉を挿入することで、「引っかかり」を作ることもできるんですが、講義ではあまりそういうレトリックが使えない。
とはいえ、一応、大学生相手なんで、分からないなら勉強しろといえるんですが、普通の人にはそんなこと言えなかったりする。
何が言いたいのかというと、大学院的コミュニケーションが使えない空間で、専門の話しをするのは結構難しいという、ごく当たり前の話しなんですが、これはこれで面白い。
比較的抽象度の高い講義(そんな大したことはないんですが、うちの学科の他の講義と比較してという意味で)をしているので余計ですが、それをちゃんと人に伝える、そこにたとえ誤読が生じようとも、「ガチ」で話すということは、研究者として大切なスキルなわけです。
そもそもこのブログ自体、より多くの回路を開くためのひとつの実践だったりするんで、いい修行の場を与えてもらったと思います。

長々と近況報告してしまいましたが、本論はごく短くなりそうです。
今回とりあげるのは、歴史人類学の話しなんですが、ちょうど昨日講義をしてきた内容です。
講義では、モースやエヴァンズ=プリチャード、ダグラス、ギアツといったバークの本でとりあげられている人類学者の影響を話したんですが、バークの本を読んで、ここで最も重要なことは、人類学が対象としてきた贈与だとか、魔術の社会的機能だとか、穢れだとか、儀礼なんかを文化史の研究対象とすることができるようになったという点ではないかと考えた次第です。
つまり、古典的な文化史や民衆文化研究では、基本的には文化コンテンツ(作品やその作家)を研究対象の中核においていたけれど、人類学的見方がはいってきたことによって、行為や文化コードのほうに目を向けることが可能になったということではないでしょうか。
これによって、「新しい文化史」が形成される基礎が出来上がった。
おそらく時系列的には、同時発生的ではあるんでしょうが、1980年代あたりの知的状況が、コンテンツよりもコードを求めていたといえそうな気がします。
「文化」がコンテンツからコードへ変化した(あるいは、コードを含むようになった)ことの重要性を、日本の文化史家はもっと自覚的になるべきではないでしょうか。こうしたことに敏感な日本の歴史学者は多くないように思います(ただの印象です。そうじゃないかもしれません)。
コンテンツからコードへの変化は、必ずしも人類学の影響だけではないでしょう。
しかし、人類学がその流れを作るのに重要なファクターであった、言い方をかえると、ポストモダニズムに影響を受けた思想潮流によるラディカルな問いを回避しつつ、そこで指摘された問題を、ソフトランディング的な方法論での解答の仕方のひとつを提供したのが、人類学であったといえるのではないでしょうか。
もちろん、すぐにハードランディングを求める声もでてくるわけですが。
ほとんど思いつきの内容ですが、そこそこ当たっていそうな気もするんですが、どうなんでしょうね。

次回の大学講義では、フーコーブルデュー構築主義の影響等を話す予定なんですが、大丈夫なんでしょうかね、いろんな意味で。
では、また。