労働と歴史学

昨日、BI(ベーシックインカム)についての公開講演に行って来ました。個人的にBIが導入されることは大学院生、若い研究者にとって非常に有益であると思っています。
高学歴ワーキングプア」という問題が指摘されるようになり、使い捨てのように若い研究者が切り捨てられていく悲惨な現状にあって、BIはアカデミズムをめぐるすべての問題を解決できるわけではないでしょうが、少なくとも希望をもってアカデミズムの世界に入ってきた若者を「見殺し」にするような悲劇は回避できるようになるのではないでしょうか。


さて、上記の講演会で問題の焦点になったのは、BIの実現のハードルとしてある「働かざるもの食うべからず」の労働倫理を転換することができるのかということです。
資本主義社会において、「生きること」=「働くこと」になっており、その等式はかなり強固に結びついているわけです。


そこで思ったのは、歴史学がこの問題に対して貢献できるとすれば、「生きること」=「働くこと」が必ずしも自明のものではないということを歴史的に追うことができれば、資本主義社会が作りあげた等式をズラすことができるのではないだろうかということです。
もちろん、歴史の研究で、世の中の考え方が一気に変わると思っている程、楽観主義者ではありませんが、少しでもいまのシステムを相対化する言説を提供することで、新しいフェーズへの足がかりにはなるのではないでしょうか。


問題は、歴史学のなかで「労働」という問題が扱われてこなかったわけではないということです。
マルクス主義史学、社会史等のなかで論じられてきた問題です。
むしろ消費され尽くしたジャンルとさえいえるかもしれません。
かつての研究を乗り越え、新しいパースペクティブを提示できる新しい「労働」と「生存」の歴史学を考えなければいけないでしょう。


なんとか文化史的に「労働」という問題を捉えなおすことができないだろうかなどと考えています。
いかんせん、専門は政治史だったりするので、こういう問題に対する切り込み方が分かっているわけではなく、まだ具体的なビジョンがあるわけではないのですが。
どっかからアイデアが降ってくるといいんですがね。