『記憶の場』と記憶の歴史の可能性


現在、とある事情から記憶の歴史についての研究会に所属することになり、そこでピエール・ノラの『記憶の場』の序論についてコメントしてほしいということで、簡単な発表をしました。
そのまま放置しておくのもなんだったので、その内容を少し修正して、ここにアップしておこうと思います。



『記憶の場』の翻訳は、2002-2003年にかけて出版されたものであり、原著も(1984〜)、英語版(1996〜)に出版されているわけで、いま「記憶」というタームで歴史を考えるには、ノラの射程を超える必要があるように思います。


記憶の場―フランス国民意識の文化=社会史〈第1巻〉対立

記憶の場―フランス国民意識の文化=社会史〈第1巻〉対立


もちろん「記憶」というタームが歴史を考える有効なものであるのかについては議論が必要でしょうが、「記憶」が現在と過去を媒介する重要な概念であることは否定できないと思われます。
そして、ノラの射程を検討し、新たに「記憶」を捉え直すことで、新たな歴史叙述の可能性を開くことができるのではないかと、いまのところは考えています。
これを形にするには、もう少し歴史理論のなかでの記憶概念について検討する必要があるので、明確なヴィジョンを打ち出すまでにいたっていませんが、そのプロセスとして読んでいただければと思います。


しかし、僕自身はフランス史の専門家でもなければ、記憶の歴史を研究しているわけでもありませんので、包括的な議論はできません。
参考にした文献も、手に取れるところにあったものを選択したにすぎません。その辺りはご了承下さい。
とはいえ、以下で述べますように、ノラの「記憶の場」が与えた歴史学に与えたインパクトは、歴史学全体に関わるものであり、またその問題点を考えることも、ここ20年ほどいわれつづけている「歴史学の危機」の問題と関連する問題であるかと思います。
ノラの「記憶の場」が抱えている問題は、主にふたつあげることができるでしょう。


ひとつは、ナショナル・ヒストリーの問題です。
つまり、グローバル化した現代、あるいはポスト(・ポスト?)・モダン時代と言われて久しくなり、いまやその言葉すら陳腐化してしまった現代において、ナショナル・ヒストリーはいかにして語られるのか、あるいはそもそもそのような視点が必要、あるいは適切なのかという問題が考えられます。


もうひとつは、記憶の歴史の歴史学における歴史認識論上の問題です。
言うまでもなく、記憶の歴史は「メタ・ヒストリー」を志向する方法論です。
歴史学を単なる歴史事象の事実の確定作業ではなく、歴史事象の受容のされ方に目を向けさせることに、記憶の歴史は成功したわけです。
これは、「歴史学の危機」を最も強く印象づけた「言語論的転回」の論者に対する歴史学からの応答として考えることができます。
おそらく、記憶の歴史に多くの歴史家が記憶の歴史を歓迎した(ように見える)のは、言語論的転回問題をこれで封殺できると考えたからではないでしょうか。


「記憶は歴史叙述の危機の時代において前面に出てくる、なぜならそれは歴史学の言説への治療的オルタナティヴ(therapeutic alternative)として現れるからだ。」


この言葉は歴史学の言説のなかでの「記憶」の使用について考察した、Kleinの言葉です。
(Klein, K. L., “On the Emergence of Memory in Historical Discourse”, Representations, 69, 2000, 127-150.)

彼は歴史学における「記憶」というタームの使用を、ポスト・モダン的立場からの批判の反応として、理解しています。
彼が「治療的」という表現を使っているのは、精神分析的な概念の歴史学への転用について主に論じているからですが、Kleinのこの言葉は、「記憶」というタームが、歴史学の危機と結びついている、(あるいは、そのように認識されている)ことを示す端的な表現でしょう。


しかし、はたして、記憶の歴史は歴史学の「治療的オルタナティヴ」であるのか、この点についての僕の立場は、全面的ではないにせよ、懐疑的です。どちらかと言えば、Kleinの論じている精神分析的な概念の使用ということについては、比較的共感を持つ部分もあるのですが、少なくともノラ的な「記憶」の歴史、その安直な追随については、支持できない部分のほうが多いと思っています。
とはいえ、記憶の歴史が前提としている歴史認識論は、おおむね、ポスト・モダン、ポスト構造主義、あるいは言語論的転回から突きつけられた問題を、黙殺することなく、受け止めているということはいえるでしょう。
その意味では、この問題を引き受けようとしない、あるいは終わった問題として片付けている立場をとるよりは、真摯な立場であるといえるでしょう。


『記憶の場』には2つの「序」が存在します。
オリジナルの『記憶の場』に書かれたノラの序論「記憶と歴史のはざまに」と英語翻訳版『記憶の領域』に収録されている、ノラ自身によって執筆された序文「『記憶の場』から『記憶の領域』へ」です。
この2つの「序」には、ノラの強調点の変化が如実にみてとれます。


まずオリジナル版の序論、「記憶と歴史のはざまに」ですが、このタイトルが示すように、極めて理論的というか、歴史認識論的な内容になっています。
この序論のなかで、ノラが指摘するのは、「記憶と一体化した歴史」の終焉、ということです。
彼は現代社会を記憶が崩壊した社会として認識しています。
ここで使用されている「記憶」という言葉ですが、ノラがどのようにとらえているかというと、「記憶」というのはある集団によって担われ、過去との連続性を想起させるものであるとします。
そして、記憶を共有してきた集団として、教会、学校、家族、国家をあげています。


序論全体を読むとより明確に分かるのですが、ノラの「記憶」とは、いわゆる「大きな物語」として理解できるのではないかと思います。
つまり、ノラの言う記憶の崩壊とは、「大きな物語」の崩壊と読み替え可能なものであると言えます。
そして、彼が「記憶の場」と呼んでいるものは、そうした「記憶」の残滓であり、崩壊したからこそ、求められる「記憶」の基点となるものとして機能しているものと考えているようです。
これは「大きな物語」が崩壊し、「小さな物語」が複数乱立するなかで、その小さな世界のなかに「物語」を求めているという、ポスト・モダン論が提示する世界像にぴったりと一致します。
その点で、ノラが持っていたであろう問題意識はやはりポスト・モダン的な歴史学の有り様であったことが指摘できるでしょう。


また、彼の論のなかでは、「記憶」と「歴史」が対立するものとして提示されています。
記憶とはあくまで現実社会のなかに共有されているものです。これに対して、歴史は過去との距離を作ります。
過去と現在との距離を認識し、再構成することが歴史化という行為だとするならば、記憶は現在に生きているものとして認識されています。
歴史とは、記憶の聖性を剥奪することであり、記憶を破壊することだと、ノラは指摘します。


しかし、ノラは記憶と歴史が一体化していた時代があったという主張もしています。
その時代とは19世紀の歴史学であり、国民と歴史学が記憶を媒介にしてつながっていた時代です。
社会の変化とともに、歴史学も変化し、国民の歴史を語ることへの批判が提起されるようになったと述べています。
その事例として、アナール学派の活動をあげています。それは国民の歴史から個別の歴史への変化であり、国民的アイデンティティの担い手という呪縛からの開放でもありました。
これによって、歴史学の正当性も失うことにもなったともノラはいいます。
ノラは、このような「大きな」記憶の喪失、あるいは「小さな」記憶化(=記憶の場)は歴史への要求を高めているとします。
記憶の喪失こそが、その欠落を埋めるために歴史を必要としているのだと、彼は言います。
そして、記憶の喪失の時代における、歴史学は「記憶の場」を扱う歴史学ということになるわけです。


この記憶の喪失の以前と以後における、歴史認識の違いは、連続性と断絶としても語ることができます。
記憶が存在していた時代においては、過去ととのつながりは自明であり、その連続性のなかで捉えることができた、しています。
他方、記憶の喪失の時代では、過去とはむしろ断絶し、不連続なものとして捉えられる、とします。
これはミシェル・フーコーの歴史を断層として捉える見方と一致するでしょう。フーコーが『知の考古学』のなかで歴史による記憶化について言及していることも示唆的でしょう。


知の考古学(新装版)

知の考古学(新装版)


こうした、断絶と不連続のなかでの過去との関係は、再現(ルプレザンタシオン)なのであり、再生(レジュレクシオン)なのではないと、ノラはいいます。
そして、過去との不連続であるがゆえ、全体的な歴史ビジョンが排除され、「部分的照射」、「選別的抽出」、「有意な標本」を用いた再現がなされるようになったとします。


ノラに言わせると、このような変化は歴史家の役割を変容させたということになります。
記憶と一体化した歴史が存在した時代においては、歴史家は「過去の語り部」、「将来への渡し守」であり、「文書というなまの物質性と、記憶のなかへの記録とのあいだにある、博識な透明体、伝達媒体」、「できるかぎり軽い橋渡し」、さらには「客観性に取りつかれた不在」であったとします。
しかし、その一体性が消滅したことにより、「主題とのあいだに親密で個人的な関係を認める」歴史家が登場し、その主題が、彼自身の主観、創造力、再現力にすべてを負っているものであることを認めることにやぶさかではない歴史家、過去に「意味と生命を与える」歴史家となったとしています。


このような認識はおそらく現在の歴史家には共有されている認識でしょう。
ノラは、このような事態を、この序論執筆段階で強く意識していることがわかります。
それを端的に示しているのが、以下のような言葉でしょう。


歴史学は認識論的段階に完全に突入しており、アイデンティティの時代は完全に終わり、そして、記憶が歴史によって完全に押さえ込まれてしまったいま、歴史家はもはや記憶する人間ではなく、みずからが記憶の場となる」


では、記憶の場とは何かという定義をノラがどのようにしているかというと、そこに記憶する意志が存在していることがまずあげられます。
それは単なる過去の遺物なのではなく、「記憶する」ことへの積極的な意志が存在して、はじめて「記憶の場」となるわけです。そうでなければ、それは単なる「歴史の場」なのだとしています。
そして、歴史や時間や変化の介入の必要であり、なければ、単なる記念碑の歴史になってしまうとします。
具体的にいかなるものが対象となるかは、本書が扱っている対象を見れば、明らかでしょう。


ノラは記憶の場とこれまでの歴史の違いは、これまでの歴史が「ありのままの状態で把握しようと」としてきたのに対し、「記憶の場」は現実のなかに指示対象をもたず、それ自身が指示対象なのであり、その意味で歴史から逃れる存在だとしています。
そして、記憶の場は「それ自体で円環を作っている場でありながら、意味の広がりによる開かれた場」なのだとされます。
これは典型的なポスト・モダン時代の世界観を提示しているように思います。
すなわち、「大きな物語」が機能しなくなり、個別の世界に閉じこもりながら、そのなかで「物語」を紡いでいくしかないが、その意味は常に開かれているという世界観。
そういった意味で、この序文は、記憶の場のマニフェストでもありながら、ポスト・モダン時代の歴史学マニフェストとしての意味を持ちうるものであったのではないでしょうか。
そのことは、ポスト・モダン思想からの糾弾によって、危機に瀕していた歴史学がこの『記憶の場』を歓迎をもって迎えたことからも理解できるように思われます。
しかし、英語版の『記憶の領域』の序文にはこのようなトーンは消えないまでも薄れ、別の主題が前面に押出されています。


というわけで、英語版の序文を見ていきたいわけですが、記事が長くなってしまったので、以下は次回にまわしたいと思います。

ヘイドン・ホワイトと歴史叙述


ずいぶんと放置してましたが、ちょっと更新しておこうと思います。

ここ最近ぼちぼちと『思想』8月号の「ヘイドン・ホワイト的問題と歴史学」を読んでいます。
まだD.ハーランの論文の翻訳までしか読んでませんが、ちょっと考えたことをまとめておこうと思います。


「ホワイト的問題」とは歴史叙述の問題、特にそのなかにおける「文学性」との関係についての問題系として理解できるでしょう。
簡単にいってしまえば、歴史は「科学」か「文学」かという問題です。
とはいえ、ホワイトはこのような単純な二項対立は慎重に避けています。
力点は、歴史叙述のなかの文学性を排除することは不可能であろうという点にあります。
まぁ、正確な中身は『思想』を読んだほうがいいと思います。


収録された論考を(途中まで)読んで、なんとなく考えたのは、専門の歴史研究者はいったいどのような歴史を書くべきなのだろうかということです。
こんな漠然としていて、根本的な問題においそれと答えなど出せないのですが、ちょっとした思いつきを書いておきます。


まず、僕の歴史叙述(研究)に対する基本的な考え方は、歴史叙述とは「歴史」と呼ばれるパラレルワールドの構築する行為だと考えています。
過去の残滓から、いくつもの世界が創られていく。これが歴史を叙述する行為だと考えています。
これは一般的な意味での「歴史」だけではなく、専門の研究論文も含まれます。
つまり、歴史叙述とはひとつの「歴史」に収斂していくのではなく、複数の「歴史」の併存を創りだすものだということです。


そうした前提(この前提が受け入れられるのかは問題でしょうが)のうえで、いったいアカデミズムの歴史学は何を目指すべきなのだろうか、ということです。


アカデミズムの役割というのは、「世俗」の社会から切り離された考えを提示することにあるのだとしたら(そもそもアカデミズムがそのようなものであるという前提が成り立つのかはあやしいのですが、ここではおいておいて)、世間的な歴史認識に対してオールタナティブを提供するものでなければならないでしょう。
そうしたときに、いわゆる「実証的」レトリックは有効性を持つのでしょうか?
これはほとんど有効ではないと思います。
なぜなら、世の中のたいていの人は過去はちゃんとあり、時間と労力を厭わなければ、「本当の歴史」にいたれると思っているように思われます。
これは完全に僕の印象なので、実際はそうじゃないのかもしれません。
しかし、僕には割と世の中の人は「歴史の真実性」を疑ってはいないのではないでしょうか。
単純に言えば、「実は・・・だった」とか割と喰いつきがいいレトリックでしょう。


上記の現状認識(「本当の歴史は存在する」という認識)をした場合、最も有効なオールタナティブは「歴史はひとつではありえない」、「真実の歴史などない」という歴史認識の提供なのではないでしょうか。
パラレルな歴史のなかで、「実証的」歴史がインパクトを与えることができるなら、それは選択されるべき、ひとつのワールドのなかの話しに過ぎません。
しかし、そのインパクトはかつてほど有効ではないのでしょうか。
むしろ「実証」の揺らぎを提示できるような歴史の構築のほうが、インパクトがあり、有効な言説を提示できるように思われます。
そのような方向性で歴史叙述を行う方法論を模索してみてもよいのでは、と思った次第です。


まだ洗練されていない見解なので、もう少しちゃんとしたアイデアにしたいところです。
とりあえず、最後まで読まないとな。

ミシェル・ド・セルトー『ルーダンの憑依』


先日、ミシェル・ド・セルトーの『ルーダンの憑依』で読書会を行いました。
せっかくなので、レビューとはいかないまでも、読んだ感想なんかを書いておこうかと思います。

ルーダンの憑依

ルーダンの憑依


セルトーについては以前もブログでも触れましたが、個人的に現在の文化史を考えるうえで重要な歴史家・思想家だと考えています。
ピーター・バークの『文化史とは何か』でもセルトーについては比較的大きく取り上げられています。

文化史とは何か 増補改訂版

文化史とは何か 増補改訂版


バークの本では、セルトーの『日常的実践のポイエティーク』のほうに注目しているわけですが、歴史家セルトーの代表作としてはこの『ルーダンの憑依』があげられます。

日常的実践のポイエティーク (ポリロゴス叢書)

日常的実践のポイエティーク (ポリロゴス叢書)


セルトーはこの本を精神分析的手法で書いたとされていて、それが歴史学の叙述形式において斬新だったとされています。
そのあたりは、僕は精神分析(特に、セルトーが影響下にあるラカン派)の理論に精通しているわけではないので、必ずしも正確にどこが精神分析的なのかとらえることはできないのですが、だいたいここなのかなと思う点はわかったような気がします。
歯切れの悪い書き方で申し訳ありません。
それを正確に提示するのは、僕の能力の限界を越えることなのでご勘弁を。


どこが精神分析的なのかという問題はとりあえず置いておくとして、ひとつ問題になっているのが「不在」の問題です。
まず、ユルバン・グランディエ(魔法使いとして処刑される司祭)の「不在」の問題。
グランディエは事件が始まり、処刑にいたるプロセスにおいては、グランディエ自身は牢につながれていて、直接事件に関わることはありません。
また、悪魔自体が「不在」(あるいは「存在」)の問題を抱えているとも言えます。
まあ、いろいろ言えると思いますが、この「不在」をその周りの人々が囲んでいこうとするわけです。
その囲みを作っているのが、悪魔祓いと医学ということになります。


悪魔に憑依された修道女たちを悪魔祓い師や医者がどうにかしようとするわけですが、ここで悪魔祓い師と医者が担っている役割について考えてみると、
悪魔祓い師=前近代=パロール=プラティー
医者=近代=エクリチュールディスクール
のような図式でとられられるのではないかと思います。


悪魔祓い師は儀式としての悪魔祓いを行うわけです。
それはプラティークとして機能するものでしょう。
セルトーは悪魔祓いを演劇になぞらえています。
他方、医者は視覚的診察をするわけです。
ここで重要なのは、医者は学問的知によって、憑依者の身体を分析していくわけです。
当然、この当時病理学が発達しているわけではないので、医者の役割というのは、症状を視覚的(あるいは触覚的)に判断し、そこに言葉を与えていく作業をすることです。
言説の束を憑依者の身体にぶつけていくわけですが、悪魔という「不在者」には与えるべき言葉が見つからないわけです。
ここに悪魔祓いの優位が生まれるわけです。
ディスクールよりもプラティークが優先される。
それは不在のものには、圧倒的にプラティークが優勢であることを示しています。
ディスクールは不在を囲み、不在であることを示すことができます。
しかし、不在であるが存在するもの(悪魔=存在)に対処する術を持っていません。
プラティークはその対象の在/不在関係なく、形式的・儀礼的に遂行されます。
そのため、ルーダンの事件では悪魔祓いが勝利をおさめるわけです。


しかし、すでに近代性の萌芽が出てきているのは、
宗教問題として扱われて然るべき問題に医学言説が介入しつつあること。
この医学言説とは別の次元で、このルーダンの憑依事件についての出版物が出されていること。
出版はこの時期起こった大きなメディア革命です。
ルーダンの事件が出版物によって語り直されるのは、大量出版が可能になった印刷技術の革新、それに伴う流通経路の構築があったためです。
ここで付け加えておくべきは、この出版革命のもと、大量流通した書物のジャンルのひとつが医学書(専門的なものというよりも、『家庭の医学』的なもの)でした。
つまり、この当時ないしこの後に、医学言説は圧倒的ヘゲモニーを握っていくわけです。
ルーダン事件のなかでの悪魔祓いと医学の文化ヘゲモニーは、かろうじて前者によって握られたわけですが、それはこのあとに起こる医学言説の圧倒的勝利の前の最後の灯火であったのかもしれません。


『ルーダンの憑依』は他にも切り口がいろいろあると思います。
精神分析的には、グランディエと母親の問題も気にかかります。
この母子関係を切り裂いたのは、象徴的・記号的世界であると考えることもできます(ラカンの去勢問題)。
セルトー自身はこの図式をかなり意識していたのではないかと思われる箇所もあるのですが、先ほども言ったように、精神分析ラカン云々を語るのは僕自身の能力の限界を超えますので、そういう切り口がありそうだという指摘だけにとどめておきます。
と、まあ他にもいろいろ語りうることはあるのですが、今回はこの辺で。
しかし、この記事、かなり雑然としていますね。
本を読んでいない人にはさっぱりかもしれませんが、ご容赦を。

メディアの発展と歴史

書かないわけではありませんと言いながら、ずいぶん更新してませんでした。
忙しかったと言えばそうなのですが、何となくだらだらと日々が過ぎていったほうが正しいような気がします。


さて、今回何を書こうかというと、近世における印刷技術の発展と歴史学の問題についてです。
とはいえ、この手の問題の専門家でもありませんので、ただの印象論の書き流しです。
まぁ、このブログで断るまでもないと思うのですが。


何で印刷技術かというと、
ここ最近R.シャルチエの読書についての歴史の再評価ということをしてみよう、
と勝手に自分のなかで思っていたのと、
講義で近世の歴史を扱うことが多く、それを踏まえての雑感を書いてみたいと思います。
近世史の専門家にとっては当たり前のことかもしれませんが、
まったく異なる史料体系を持つ時代を専門にしている者からすると、
近世のいくつかの問題を見てみると、改めて気づくことも多かったのです。


15世紀にヨーロッパで活版印刷の技術が発明され、その後あっという間に印刷所ができ、
印刷による書物が次々と作られていくことになります。
これにより、何よりも本が大量に作られることになり、本を読むという行為が拡大していくわけです。
その広がりは物理的(時間・空間的)なものであり、社会階層的なものでした。
ひとつの本が手書きの写本に比べて、圧倒的な速さで、空間的に広がっていく。
情報伝達技術としてまったく違う次元のものであり、世界観を変えていったことは、
インターネットによる世界の変容を目の当たりにしている我々には想像しやすいのではないでしょうか。


他方、社会階層的にも、書物は庶民でも手に入るものになり、民衆本も出回るようになっていきます。
このような問題はシャルチエの読書論を読んだ方がいいのでこれ以上述べませんが、
これによって「読者」という存在が認識できるようになったという点は重要です。
このようなマスに向けた印刷物が出てこない限り、
作者と読者は同じ文化共同体に属していると考えられます(そうでない可能性は否定できないのですが、これを確かめることは難しいでしょう)。
「読者」という存在が歴史学の対象になりうる。このことは大量印刷技術が出てこなければなかなか難しい。


これは何を意味しているのでしょうか。
近世の印刷技術の向上によって、歴史学の史料の質がまったく違うものになるということです。
それまで、(書物に限定すれば)特定の文化グループに向けたテクスト以外に史料らしい史料というのはなかったわけで、
ある特定の世界観を提示したものだと言えそうです。
もちろん読み手による誤読(あるいは、「密猟」)は起こるわけですが、
大量印刷が可能な世界比べれば、その誤差は少ないと言えるのではないでしょうか。
質的にも、量的にも。


大量印刷によって、ひとつの書物から紡ぎだされるリアリティの数は圧倒的に増えていきます。
そして、それを歴史家は扱うことができるようになる。
しかし、これは諸刃の剣なのであって、必ずしも歴史家にとって歓迎されるものではないのかもしれません。
無限に複数化されているリアリティをひとつのリアリティに強引に押し込むことはどこかに負荷がかかる。
かといって、複数化されたリアリティをそのまま提示することは神業でしょう。


シャルチエの論が面白いところは、リアリティの一元化の不可能性を提示することで、
リアリティの複数性を見せることに成功している点です。
彼の「読者」論は複数化されたリアリティに向き合った歴史の方法論といえるのではないでしょうか。


もっとまったく違うことを書くつもりでしたが、力尽きたのでやめますw
宗教改革はメディア革命によるパロール的世界とエクリチュール的世界の対立なのだとか。
つまり、アーキテクチャをめぐる闘争ともいえるわけです。
この辺は世界史的に重要で、アトランティック・ヒストリーの文脈にも使える。
とかいろいろ考えていたのですが、長くなりそうで、面倒くさくなってきたので、やめますww


気が向いたら、この手の話しを書くと思います。

書かないわけではありません。

デザインをtwitter使用にしました。すっかりtwitterのある生活に順応してしまっています。

またtwilogにリンクできるようにしておきました。ほとんど意味のないつぶやきですが、気になる方はどうぞ。いればの話しですが。

このブログを更新していないのは、いま巷に蔓延しているという、twitterに順応することによって、ブログを書く気にならない、140字以上はムリだよ症候群にかかっているわけではありません(たぶん...)
単純にやらねばならないことがいくつかあって、書く時間がないだけです。twitterはやっているというツッコミはなしでお願いしますw

いやいや、ちゃんと書きますよ。
ロジェ・シャルチエの読書論とか書きたいし。

以上、報告でした。

労働と歴史学

昨日、BI(ベーシックインカム)についての公開講演に行って来ました。個人的にBIが導入されることは大学院生、若い研究者にとって非常に有益であると思っています。
高学歴ワーキングプア」という問題が指摘されるようになり、使い捨てのように若い研究者が切り捨てられていく悲惨な現状にあって、BIはアカデミズムをめぐるすべての問題を解決できるわけではないでしょうが、少なくとも希望をもってアカデミズムの世界に入ってきた若者を「見殺し」にするような悲劇は回避できるようになるのではないでしょうか。


さて、上記の講演会で問題の焦点になったのは、BIの実現のハードルとしてある「働かざるもの食うべからず」の労働倫理を転換することができるのかということです。
資本主義社会において、「生きること」=「働くこと」になっており、その等式はかなり強固に結びついているわけです。


そこで思ったのは、歴史学がこの問題に対して貢献できるとすれば、「生きること」=「働くこと」が必ずしも自明のものではないということを歴史的に追うことができれば、資本主義社会が作りあげた等式をズラすことができるのではないだろうかということです。
もちろん、歴史の研究で、世の中の考え方が一気に変わると思っている程、楽観主義者ではありませんが、少しでもいまのシステムを相対化する言説を提供することで、新しいフェーズへの足がかりにはなるのではないでしょうか。


問題は、歴史学のなかで「労働」という問題が扱われてこなかったわけではないということです。
マルクス主義史学、社会史等のなかで論じられてきた問題です。
むしろ消費され尽くしたジャンルとさえいえるかもしれません。
かつての研究を乗り越え、新しいパースペクティブを提示できる新しい「労働」と「生存」の歴史学を考えなければいけないでしょう。


なんとか文化史的に「労働」という問題を捉えなおすことができないだろうかなどと考えています。
いかんせん、専門は政治史だったりするので、こういう問題に対する切り込み方が分かっているわけではなく、まだ具体的なビジョンがあるわけではないのですが。
どっかからアイデアが降ってくるといいんですがね。

twitter考

前回twitterを始めたことを書きました。
やってみて感じたことを書いておきます。

twはブログ以上にジャンクな情報が多い。
このことは一見悪いことのように思いますが、情報の多様化という意味においては非常に大きな効果があると考えられます。
おそらく現在の日本におけるネット利用のメイン・ストリームは、「検索」をベースにしたダイレクトな情報へのアクセスというものでしょう。
ここには「ノイズ」が存在しません。
ノイズがないということは、情報の流れが単純化・一元化する傾向を持つということです。
Googleの覇権ということが言われるのも、こういう利用形態が確立しているからでしょう。


これに対して、twは人々の「つぶやき」が勝手に入ってくる(フォローすればですが)。
これは本来入ってこなかったであろう情報が向こうからやってくる、そして自ら「つぶやく」ことで情報のデータベースに参入することになる、ということです。
ブログでもこうしたことは可能ですが、即時性・多様性という点で、twのほうが優位性を持つことは否めません。
もちろんtwが万能なわけではありませんが。


文化史的に考察すると、グーテンベルグ活版印刷による書物の革命(=メディア革命)に連なるものでしょう。
おそらく大量出版が可能になった時、人々は情報爆発に直面したと思われます。
現在の我々がそうであるように。
「メディア」という問題には、文化史は大きく貢献できる気がします(このまえはミクロ・ヒストリーが重要とかいってましたがw)。
文化史家ピーター・バークがメディアに関心を持っている研究者であることは言うまでもないでしょう。
敬愛する歴史家、ロジェ・シャルチエも「読書の歴史」の研究をしていました。
かくゆう、僕も「演説」という行為に関心を持っています(二人とは格が違いすぎますがw)。
人と人がどのようなアーキテクチャでつながっているのかという問題は、文化史家にとって大きな関心を喚起するようです。


ゆるやかなながらも、圧倒的な社会・文化変革はもう始まっているのかもしれません。