『記憶の場』と記憶の歴史の可能性


現在、とある事情から記憶の歴史についての研究会に所属することになり、そこでピエール・ノラの『記憶の場』の序論についてコメントしてほしいということで、簡単な発表をしました。
そのまま放置しておくのもなんだったので、その内容を少し修正して、ここにアップしておこうと思います。



『記憶の場』の翻訳は、2002-2003年にかけて出版されたものであり、原著も(1984〜)、英語版(1996〜)に出版されているわけで、いま「記憶」というタームで歴史を考えるには、ノラの射程を超える必要があるように思います。


記憶の場―フランス国民意識の文化=社会史〈第1巻〉対立

記憶の場―フランス国民意識の文化=社会史〈第1巻〉対立


もちろん「記憶」というタームが歴史を考える有効なものであるのかについては議論が必要でしょうが、「記憶」が現在と過去を媒介する重要な概念であることは否定できないと思われます。
そして、ノラの射程を検討し、新たに「記憶」を捉え直すことで、新たな歴史叙述の可能性を開くことができるのではないかと、いまのところは考えています。
これを形にするには、もう少し歴史理論のなかでの記憶概念について検討する必要があるので、明確なヴィジョンを打ち出すまでにいたっていませんが、そのプロセスとして読んでいただければと思います。


しかし、僕自身はフランス史の専門家でもなければ、記憶の歴史を研究しているわけでもありませんので、包括的な議論はできません。
参考にした文献も、手に取れるところにあったものを選択したにすぎません。その辺りはご了承下さい。
とはいえ、以下で述べますように、ノラの「記憶の場」が与えた歴史学に与えたインパクトは、歴史学全体に関わるものであり、またその問題点を考えることも、ここ20年ほどいわれつづけている「歴史学の危機」の問題と関連する問題であるかと思います。
ノラの「記憶の場」が抱えている問題は、主にふたつあげることができるでしょう。


ひとつは、ナショナル・ヒストリーの問題です。
つまり、グローバル化した現代、あるいはポスト(・ポスト?)・モダン時代と言われて久しくなり、いまやその言葉すら陳腐化してしまった現代において、ナショナル・ヒストリーはいかにして語られるのか、あるいはそもそもそのような視点が必要、あるいは適切なのかという問題が考えられます。


もうひとつは、記憶の歴史の歴史学における歴史認識論上の問題です。
言うまでもなく、記憶の歴史は「メタ・ヒストリー」を志向する方法論です。
歴史学を単なる歴史事象の事実の確定作業ではなく、歴史事象の受容のされ方に目を向けさせることに、記憶の歴史は成功したわけです。
これは、「歴史学の危機」を最も強く印象づけた「言語論的転回」の論者に対する歴史学からの応答として考えることができます。
おそらく、記憶の歴史に多くの歴史家が記憶の歴史を歓迎した(ように見える)のは、言語論的転回問題をこれで封殺できると考えたからではないでしょうか。


「記憶は歴史叙述の危機の時代において前面に出てくる、なぜならそれは歴史学の言説への治療的オルタナティヴ(therapeutic alternative)として現れるからだ。」


この言葉は歴史学の言説のなかでの「記憶」の使用について考察した、Kleinの言葉です。
(Klein, K. L., “On the Emergence of Memory in Historical Discourse”, Representations, 69, 2000, 127-150.)

彼は歴史学における「記憶」というタームの使用を、ポスト・モダン的立場からの批判の反応として、理解しています。
彼が「治療的」という表現を使っているのは、精神分析的な概念の歴史学への転用について主に論じているからですが、Kleinのこの言葉は、「記憶」というタームが、歴史学の危機と結びついている、(あるいは、そのように認識されている)ことを示す端的な表現でしょう。


しかし、はたして、記憶の歴史は歴史学の「治療的オルタナティヴ」であるのか、この点についての僕の立場は、全面的ではないにせよ、懐疑的です。どちらかと言えば、Kleinの論じている精神分析的な概念の使用ということについては、比較的共感を持つ部分もあるのですが、少なくともノラ的な「記憶」の歴史、その安直な追随については、支持できない部分のほうが多いと思っています。
とはいえ、記憶の歴史が前提としている歴史認識論は、おおむね、ポスト・モダン、ポスト構造主義、あるいは言語論的転回から突きつけられた問題を、黙殺することなく、受け止めているということはいえるでしょう。
その意味では、この問題を引き受けようとしない、あるいは終わった問題として片付けている立場をとるよりは、真摯な立場であるといえるでしょう。


『記憶の場』には2つの「序」が存在します。
オリジナルの『記憶の場』に書かれたノラの序論「記憶と歴史のはざまに」と英語翻訳版『記憶の領域』に収録されている、ノラ自身によって執筆された序文「『記憶の場』から『記憶の領域』へ」です。
この2つの「序」には、ノラの強調点の変化が如実にみてとれます。


まずオリジナル版の序論、「記憶と歴史のはざまに」ですが、このタイトルが示すように、極めて理論的というか、歴史認識論的な内容になっています。
この序論のなかで、ノラが指摘するのは、「記憶と一体化した歴史」の終焉、ということです。
彼は現代社会を記憶が崩壊した社会として認識しています。
ここで使用されている「記憶」という言葉ですが、ノラがどのようにとらえているかというと、「記憶」というのはある集団によって担われ、過去との連続性を想起させるものであるとします。
そして、記憶を共有してきた集団として、教会、学校、家族、国家をあげています。


序論全体を読むとより明確に分かるのですが、ノラの「記憶」とは、いわゆる「大きな物語」として理解できるのではないかと思います。
つまり、ノラの言う記憶の崩壊とは、「大きな物語」の崩壊と読み替え可能なものであると言えます。
そして、彼が「記憶の場」と呼んでいるものは、そうした「記憶」の残滓であり、崩壊したからこそ、求められる「記憶」の基点となるものとして機能しているものと考えているようです。
これは「大きな物語」が崩壊し、「小さな物語」が複数乱立するなかで、その小さな世界のなかに「物語」を求めているという、ポスト・モダン論が提示する世界像にぴったりと一致します。
その点で、ノラが持っていたであろう問題意識はやはりポスト・モダン的な歴史学の有り様であったことが指摘できるでしょう。


また、彼の論のなかでは、「記憶」と「歴史」が対立するものとして提示されています。
記憶とはあくまで現実社会のなかに共有されているものです。これに対して、歴史は過去との距離を作ります。
過去と現在との距離を認識し、再構成することが歴史化という行為だとするならば、記憶は現在に生きているものとして認識されています。
歴史とは、記憶の聖性を剥奪することであり、記憶を破壊することだと、ノラは指摘します。


しかし、ノラは記憶と歴史が一体化していた時代があったという主張もしています。
その時代とは19世紀の歴史学であり、国民と歴史学が記憶を媒介にしてつながっていた時代です。
社会の変化とともに、歴史学も変化し、国民の歴史を語ることへの批判が提起されるようになったと述べています。
その事例として、アナール学派の活動をあげています。それは国民の歴史から個別の歴史への変化であり、国民的アイデンティティの担い手という呪縛からの開放でもありました。
これによって、歴史学の正当性も失うことにもなったともノラはいいます。
ノラは、このような「大きな」記憶の喪失、あるいは「小さな」記憶化(=記憶の場)は歴史への要求を高めているとします。
記憶の喪失こそが、その欠落を埋めるために歴史を必要としているのだと、彼は言います。
そして、記憶の喪失の時代における、歴史学は「記憶の場」を扱う歴史学ということになるわけです。


この記憶の喪失の以前と以後における、歴史認識の違いは、連続性と断絶としても語ることができます。
記憶が存在していた時代においては、過去ととのつながりは自明であり、その連続性のなかで捉えることができた、しています。
他方、記憶の喪失の時代では、過去とはむしろ断絶し、不連続なものとして捉えられる、とします。
これはミシェル・フーコーの歴史を断層として捉える見方と一致するでしょう。フーコーが『知の考古学』のなかで歴史による記憶化について言及していることも示唆的でしょう。


知の考古学(新装版)

知の考古学(新装版)


こうした、断絶と不連続のなかでの過去との関係は、再現(ルプレザンタシオン)なのであり、再生(レジュレクシオン)なのではないと、ノラはいいます。
そして、過去との不連続であるがゆえ、全体的な歴史ビジョンが排除され、「部分的照射」、「選別的抽出」、「有意な標本」を用いた再現がなされるようになったとします。


ノラに言わせると、このような変化は歴史家の役割を変容させたということになります。
記憶と一体化した歴史が存在した時代においては、歴史家は「過去の語り部」、「将来への渡し守」であり、「文書というなまの物質性と、記憶のなかへの記録とのあいだにある、博識な透明体、伝達媒体」、「できるかぎり軽い橋渡し」、さらには「客観性に取りつかれた不在」であったとします。
しかし、その一体性が消滅したことにより、「主題とのあいだに親密で個人的な関係を認める」歴史家が登場し、その主題が、彼自身の主観、創造力、再現力にすべてを負っているものであることを認めることにやぶさかではない歴史家、過去に「意味と生命を与える」歴史家となったとしています。


このような認識はおそらく現在の歴史家には共有されている認識でしょう。
ノラは、このような事態を、この序論執筆段階で強く意識していることがわかります。
それを端的に示しているのが、以下のような言葉でしょう。


歴史学は認識論的段階に完全に突入しており、アイデンティティの時代は完全に終わり、そして、記憶が歴史によって完全に押さえ込まれてしまったいま、歴史家はもはや記憶する人間ではなく、みずからが記憶の場となる」


では、記憶の場とは何かという定義をノラがどのようにしているかというと、そこに記憶する意志が存在していることがまずあげられます。
それは単なる過去の遺物なのではなく、「記憶する」ことへの積極的な意志が存在して、はじめて「記憶の場」となるわけです。そうでなければ、それは単なる「歴史の場」なのだとしています。
そして、歴史や時間や変化の介入の必要であり、なければ、単なる記念碑の歴史になってしまうとします。
具体的にいかなるものが対象となるかは、本書が扱っている対象を見れば、明らかでしょう。


ノラは記憶の場とこれまでの歴史の違いは、これまでの歴史が「ありのままの状態で把握しようと」としてきたのに対し、「記憶の場」は現実のなかに指示対象をもたず、それ自身が指示対象なのであり、その意味で歴史から逃れる存在だとしています。
そして、記憶の場は「それ自体で円環を作っている場でありながら、意味の広がりによる開かれた場」なのだとされます。
これは典型的なポスト・モダン時代の世界観を提示しているように思います。
すなわち、「大きな物語」が機能しなくなり、個別の世界に閉じこもりながら、そのなかで「物語」を紡いでいくしかないが、その意味は常に開かれているという世界観。
そういった意味で、この序文は、記憶の場のマニフェストでもありながら、ポスト・モダン時代の歴史学マニフェストとしての意味を持ちうるものであったのではないでしょうか。
そのことは、ポスト・モダン思想からの糾弾によって、危機に瀕していた歴史学がこの『記憶の場』を歓迎をもって迎えたことからも理解できるように思われます。
しかし、英語版の『記憶の領域』の序文にはこのようなトーンは消えないまでも薄れ、別の主題が前面に押出されています。


というわけで、英語版の序文を見ていきたいわけですが、記事が長くなってしまったので、以下は次回にまわしたいと思います。