文化の多様性って・・・

最近、某後輩からこのブログの記事が最近手抜きだと指摘されました。
確かにw
言い訳をしておくと、更新することを重視して、ひとつの記事に情報をどっかと詰め込まずにしていこうと思ってます。
今後もこの方針でいこうと・・・


さて、先々週あたりから学会シーズンで、東京方面に出ていくことが2度あったのですが、
改めて、東京と地方の違いを感じました。
山手線に乗ると、とにかく、街に切れ目を感じない。
各駅にどかーんと建物群が立ち並んでいる。
こんな風景は東京にしかないんじゃないでしょうか。
名古屋出身で、現在は京都に住んでいる自分としては、まったく世界観が違うという感じです。
もちろん、初めて東京に行ったわけでもないですし、東京がどういうところか知らないわけではありません。
ですが、東京に行くたびに圧倒的な「世界」の違いを感じてしまいます。
そもそも物量がちがう。
人、建物、店、品物等の量が京都や名古屋では比べ物にならない。
さほど詳しいわけではないですが、大阪ともぜんぜん違う。
この物量の多さによって、図らずも文化的多様性が形成されているような気がします。
東京に住んでいる方にとっては、何を当たり前のことをと感じられるのかもしれませんが、
その当り前さ自体が驚きだったりするわけです。

こうなってくると、地方に住んでいる(にしか住んだことのない)人間と、東京がスタンダードだと思っている人では、
ポストモダン的状況だったり、再帰的近代だったりの感じ方がまったく違うのではないのか、と思ってしまいます。
単純な話し、「新宿」に行くのだって電車を使うことに限定しても何パターンも用意されているわけです。
京都じゃまずそんなことは起こらない。
日常のなかに選択肢があり、それを選択して生きている人と、そもそも選択肢が用意されていない人とではまったくリアリティが違うんじゃないでしょうか。
なんか地方出身者のヒガミみたいな文章になってしまいましたがw、頭でわかっていることと皮膚感覚として知ることではリアリティを作るインパクトが違うなあ、ということが言いたかったわけです。
ただ、東京に住んだことがあるわけではないので、実際住んでみると全然違う感覚を持つかもしれないんでしょうけど。
もうひとつ、皮膚感覚はインパクトが強い分、ある種の幻想を抱かせるとも思うので、頭でわかるよりも皮膚感覚を大切にしたほうがいいと思っているわけでもありません。
自分自身は、どちらかというと、頭でわかろうとするタイプなので、ガンガン外に出て皮膚感覚で感じろ、とかはまったく思わないんですが、
たまに触れることがあると、それはそれで考えることが多いなと思った次第です。


今回も手抜きと言われそうですねw