twitter考

前回twitterを始めたことを書きました。
やってみて感じたことを書いておきます。

twはブログ以上にジャンクな情報が多い。
このことは一見悪いことのように思いますが、情報の多様化という意味においては非常に大きな効果があると考えられます。
おそらく現在の日本におけるネット利用のメイン・ストリームは、「検索」をベースにしたダイレクトな情報へのアクセスというものでしょう。
ここには「ノイズ」が存在しません。
ノイズがないということは、情報の流れが単純化・一元化する傾向を持つということです。
Googleの覇権ということが言われるのも、こういう利用形態が確立しているからでしょう。


これに対して、twは人々の「つぶやき」が勝手に入ってくる(フォローすればですが)。
これは本来入ってこなかったであろう情報が向こうからやってくる、そして自ら「つぶやく」ことで情報のデータベースに参入することになる、ということです。
ブログでもこうしたことは可能ですが、即時性・多様性という点で、twのほうが優位性を持つことは否めません。
もちろんtwが万能なわけではありませんが。


文化史的に考察すると、グーテンベルグ活版印刷による書物の革命(=メディア革命)に連なるものでしょう。
おそらく大量出版が可能になった時、人々は情報爆発に直面したと思われます。
現在の我々がそうであるように。
「メディア」という問題には、文化史は大きく貢献できる気がします(このまえはミクロ・ヒストリーが重要とかいってましたがw)。
文化史家ピーター・バークがメディアに関心を持っている研究者であることは言うまでもないでしょう。
敬愛する歴史家、ロジェ・シャルチエも「読書の歴史」の研究をしていました。
かくゆう、僕も「演説」という行為に関心を持っています(二人とは格が違いすぎますがw)。
人と人がどのようなアーキテクチャでつながっているのかという問題は、文化史家にとって大きな関心を喚起するようです。


ゆるやかなながらも、圧倒的な社会・文化変革はもう始まっているのかもしれません。