追悼・・・?

ついに、レヴィ=ストロースが死にましたね。
100歳まで生きていたという事実も驚嘆です。
このまま死なないんじゃないかという気すらしていましたが、レヴィ=ストロースも普通の人間だったわけです。
当たり前だけど。


特に、影響を受けるほど、熱心に受容していたわけではないのですが、やはり大きなニュースですよね、人文系の人間にとっては。
月並みなことをいえば、「ひとつの時代の終焉」なのでしょう。


ってことで、勝手にレヴィ=ストロースを追悼しようと思いw、家の本棚から『悲しき熱帯』を引っ張り出してきました。
これを機会にちゃんとレヴィ=ストロースを再考しようかとw


きっとたくさんの追悼本が出るんだろうな。
ほいほい買いそうな、自分がいる・・・そのうちのほとんどがインテリア化することがわかっていても・・・。


しかし、この『悲しき熱帯』の日本語訳には、訳者の川田順造によるレヴィ=ストロースへのインタビューが付いているんですが、レヴィ=ストロースが『悲しき熱帯』出版から20年以上たって、この本にどのような思いがあるか聞かれているところで、
「この本の終わりの方の、哲学的、政治的とでもいうべき性格をもった考察の幾つかのものは、私にはまったく理解できません。何を言おうとしていたのかさえ解りかねるのです。」と、サラっと言っています。
これ鳥肌ものの発言ですよ。
作者が自分の書いたものがわからない。
死ぬまでに言ってみたい名言ですよ、これは!!
何でお前はそんなに興奮しているんだとツッコまれそうですがw、当時の文章の強度というか、力みたいなものがあって成立した文章であるということを意味しているように思えますし、さらに作者にとって発表された作品は自分の外部にだされたものに過ぎない、エクリチュールなんだってことを構造主義の主導者がインタビューで応えている事実etc.
なんかいろいろ読み込めてしまう発言です。


というわけで、レヴィ=ストロースについて考えてみようと思ってます。
気が向けば、ここに書きます。
向かない可能性が大ですがw
以上、どこにも向かっていかない話しです。