いきおいで・・・

最近の懸案事項であったツイッターへ登録してみました、いきおいで。
自分がどこに向かっていくのか、不安。
いいのだろうか、これで・・・。
とりあえず、仲間うちで先陣をきってみました。
続く人がいるのか?

興味のある人は以下へ
http://twitter.com/m_yonemoto

追悼・・・?

ついに、レヴィ=ストロースが死にましたね。
100歳まで生きていたという事実も驚嘆です。
このまま死なないんじゃないかという気すらしていましたが、レヴィ=ストロースも普通の人間だったわけです。
当たり前だけど。


特に、影響を受けるほど、熱心に受容していたわけではないのですが、やはり大きなニュースですよね、人文系の人間にとっては。
月並みなことをいえば、「ひとつの時代の終焉」なのでしょう。


ってことで、勝手にレヴィ=ストロースを追悼しようと思いw、家の本棚から『悲しき熱帯』を引っ張り出してきました。
これを機会にちゃんとレヴィ=ストロースを再考しようかとw


きっとたくさんの追悼本が出るんだろうな。
ほいほい買いそうな、自分がいる・・・そのうちのほとんどがインテリア化することがわかっていても・・・。


しかし、この『悲しき熱帯』の日本語訳には、訳者の川田順造によるレヴィ=ストロースへのインタビューが付いているんですが、レヴィ=ストロースが『悲しき熱帯』出版から20年以上たって、この本にどのような思いがあるか聞かれているところで、
「この本の終わりの方の、哲学的、政治的とでもいうべき性格をもった考察の幾つかのものは、私にはまったく理解できません。何を言おうとしていたのかさえ解りかねるのです。」と、サラっと言っています。
これ鳥肌ものの発言ですよ。
作者が自分の書いたものがわからない。
死ぬまでに言ってみたい名言ですよ、これは!!
何でお前はそんなに興奮しているんだとツッコまれそうですがw、当時の文章の強度というか、力みたいなものがあって成立した文章であるということを意味しているように思えますし、さらに作者にとって発表された作品は自分の外部にだされたものに過ぎない、エクリチュールなんだってことを構造主義の主導者がインタビューで応えている事実etc.
なんかいろいろ読み込めてしまう発言です。


というわけで、レヴィ=ストロースについて考えてみようと思ってます。
気が向けば、ここに書きます。
向かない可能性が大ですがw
以上、どこにも向かっていかない話しです。

ミクロ・ヒストリーについて

大学の講義で、ナタリー・デーヴィス『帰ってきたマルタン・ゲール』を扱ったことは前回書きましたが、その続きで、カルロ・ギンズブルグの『ベナンダンティ』をとりあげました。
この二つの著作に関連して、ミクロ・ヒストリーについて考えたことを書いておきます(実は、以下の内容は、講義でコメントすることを考えていたときにつくったメモをベースにしてます。学生向けの内容なので、専門家にしたらあたり前のことかもしれませんが、その辺はご勘弁を)。


ミクロ・ヒストリーの可能性について、学生にコメントを求めたところ、ミクロ・ヒストリーのリアリティに共感できるという意見と、大きな歴史の必要性だという意見がでてきました。
当然といえば、当然で、専門の歴史学者だって、答えにつまる問題でしょう。
もちろん、どちらかを選ばなければならないということではないのですが。
(表現が適切かは置いておいて)大きな歴史=「スタンダードな歴史」とすると、誰にとっての「スタンダード」なのだろう?という問題はどうしてもでてきます。
歴史学者に限らず)歴史を語るとき、いったい「誰の歴史」を語ろうとしているのだろう、「誰のための歴史」を受け入れているのだろうと考えてみる、ある種の「ためらい」をもってみる必要があり、ミクロ・ヒストリーは「大きな歴史」と向き合うとき、少し「ためらって」みてはどうだろうということを提起するものであるように思います。


ベナンダンティ』をどう読むかということにも関わってくるのですが、アントニオ・グラムシの文化ヘゲモニーの問題とつながっていくのではないでしょうか(ギンズブルグはグラムシの影響を認めています)。
文化ヘゲモニーとは、端的に言ってしまえば、ある文化コードが「語る言葉」を独占するということであり、マイノリティは「語る言葉」をうばわれてしまう状態でしょう。
ヴァルター・ベンヤミンは、『歴史哲学テーゼ』のなかで、歴史は勝利者のために語られおり、その「語り」から抜け出そうとするもの(歴史的唯物論者)は、「歴史をさかなで」しなければならない、と述べています。
まさに、ベナンダンティは「歴史をさかなで」にしないと立ちあらわれない存在だったりします。


もうひとつ別の角度から、ミクロ・ヒストリーの可能性について考えてみたいと思います。
僕は、ミクロ・ヒストリーについて考えると、ある映画について思い出します。
それは、チャン・イーモウ監督の『初恋の来た道』です。
知っているかたも多いと思いますが、一応背景を書いておくと、文化革命時代の中国が舞台で、ある夫婦の出会いと別れ、再開までを描いている映画です。
淡々とした日常、のどかな農村の生活が描かれているんですが、そのバックには文化革命という歴史的事件が起こっていて、それが若い男女の関係を変えていくきっかけとなっていきます。
しかし、チャン・イーモウは大々的にこの問題をとりあげません。
あくまで、視点はチャン・ツィー演じる村の娘の日常にスポットが当たっています。
このことは、村の娘にとって文化革命は、二人の若者の関係性以外の何物でもないことを提示しています。
この映画をみると、多くの人々にとって「歴史」というのは日常のなかのBGMのようなものに過ぎないのかもしれないと思ってしまいます。
映画のなかでは、確かに二人の関係を変えていく重要なファクターでありながら、そこに「文化革命」という名前は与えられない。
そこに名前は必要ないのです。
そう考えると、「歴史」を大々的にとりあげている(=名前を与えている)「歴史学」という行為は、人々の生活のなかの「歴史」を描いているのだろうかと考えこんでしまします。
歴史学が困難を抱えている問題を、チャン・イーモウはやすやすと越えていきます。
歴史学の方法論において、チャン・イーモウの「歴史叙述」に近づくことができるとすれば、それはミクロ・ヒストリー以外にはないでしょう。
現在、ミクロ・ヒストリーは個別問題を語れば業績があがるという悪しきケース・スタディの大量増産(ケース・スタディ自体が悪いわけではないのですが)による危機をはらんでいます。
「社会史」や「カルチュラル・スタディーズ」や「ポスト・コロニアリズム」が食い荒らされているように。
なんとかこの流れを食い止めなければ、歴史学は衰退の一途をたどることになるでしょう(それで構わないという意見もあるでしょうがw)。
上質のミクロ・ヒストリーが書かれることを僕は期待しています(自らの課題でもありますが・・・)。
日本の西洋史学者ではミクロ・ヒストリーは難しいと思われそうですが、何も古文書館に通って、レアな史料を使うことだけがミクロ・ヒストリーではないでしょう(どちらかといえば、これは悪しきケース・スタディの部類です)。
ここで僕が問題にしたいのは、歴史のなかのコンテンツをちゃんとひっぱってきて、受容の回路にのせることができるかということです。


ミクロ・ヒストリー的なるものの可能性にかけたい!!
お前がやってるのは全然違うんじゃないかというツッコミもありそうですが、自分ではそんなに遠いことをやっているつもりはないのですが、いかんせん実力不足。
デーヴィスやギンズブルグには遠く及ばず・・・とほほ、ですね。

ポストモダニスト?

昨日、某講演に聴衆として参加して、講演後、一緒に参加していた後輩たちと話していて、考えたことをまとめておきたいと思います。


最近、よく僕は周りからポストモダニストだという評価を受けることがあります。
常々これについて若干の違和感を感じてきました。
ポストモダンと呼ばれる思想潮流に影響を受けていることは間違いないですし、そのなかで論じられる思想家の著作も好きです。
さらに、ポストモダンの影響を受けた歴史理論書などをよく読みますし、読めば共感を覚えることのほうが多い。
でも、果たして自分はポストモダニストなのかというと、いまいちピンときません。
世代的にもそうですが、むしろポストモダン的状況がデフォルトであって、そのなかで何ができるのか考えざるを得ないという立場に、図らずも置かれてしまっているというのが、自分の置かれている立場についての自己診断です。
僕がポストモダニストに見えてしまうのは(自ら戦略的に「ポストモダニスト」を引き受けることもあるので、周りのせいばかりにできないのですがw)、おそらく他の学問領域に比べて、歴史学ではポストモダンの受容が遅かったことが影響しているようにも思えます。
ただし、受容の速度というのは、研究テーマや大学の教育システムということが複合的に絡んでくると思うので、先端と最後尾にはズレがあるという当たり前の事実を確認しておく必要があるのですが。
なぜ、こんなエクスキューズを付け加えたかというと、ときどき「そんなのはもうずっと前に入ってきて、当たり前のことだよ」とかいう人がいるからです。
僕がここで「受容」といっているのは、(少なくともアカデミズムの)最後尾に近いところで広がっているという意味でです。
具体的に想定しているのは、大学の学部の講義で、ポストモダンということが語られるようになった、という状況のことをいっています。
そうなると、日本の歴史学西洋史に限っては)では、90年代以降にその受容が行われた印象を持っています。
遅いところだと、2000年代に入ってからというのも想定されます。
これは歴史学者が周りが見えていないというよりも、文学部ないし歴史学の人材の新陳代謝の悪さが原因でしょう。
いちはやく世の中の潮流を取り入れている(それが手放しでいいことではないのですが)、意欲的な若い研究者に大学生が出会うことはほとんどないからです。
また、他の分野よりも歴史学の専門家は重鎮になると、新しい歴史理論や研究法に関心を示さなくなってしまうという傾向が強い気がします。
そのため、先端と最後尾のタイムラグが大きい。
もしかすると、他の学問分野でもそうなのかもしれませんが。


話しを戻すと、ポストモダンを受けて、いったい何をつくりあげることができるのか、ということが僕ら以降の世代の課題なんじゃないかと。
歴史学の場合、実証的であるか、そうでないか、というものさしでポストモダンか否かを判断しがちです。
前者が「伝統的歴史家」で、後者がポストモダニストということになります。
しかし、ポストモダン後の世界(つまり、ポストモダンがデフォルトの世界)においては、まったく無意味な区分けです。
もし、実証を徹底すれば、歴史的真実に至れると考えているなら、ただのバカです。
ここまでバカなことを考えている人は、さすがに歴史学者にはいません。
彼らは「真実」に至れないことよく知っています。
なぜなら、歴史を捏造している、あるいは歴史というフィクションをつくりだしている張本人であるという自覚を持っている(持たざるを得ない)からです。
それを声に出すか、出さないかの違いがあるだけです(ちなみに、歴史というフィクションをつくっているという自覚を持っていない人がいるとすれば、その人は歴史学者ではありません)。


よくあるのは、「真実」には至れないにせよ、「真実」により近づける努力をすることが歴史学者の課題であるという言説です。
この言説には、すぐにふたつの批判を思いつきます。
まずひとつは、じゃあ、その「真実」というゴールは誰に見えているのですかという点。
もうひとつは、「近づく」という言葉を使っているけれど、そんなのはメタファーに過ぎなくて、仮に「真実」というものがあるとして、なぜ「距離」のメタファーでとらえられるのか、これ自体が思い込みでしょうというもの。
あると仮定するならば、「真実」というものは、遠くにいったり、近くにいったりするものではなく、そこにあるかないか、ただそれだけなんじゃないでしょうか。
少なくとも、「近づける」といっている人たちはこれに応える義務があるでしょう。
しかしながら、僕はまともな反論をみたことがない。
こんなことを言っていると、ポストモダニストに分類されてしまうわけですがw


僕がいいたいことは、「真実」とかを仮定して物事を考えているヤツはバカだ、ということではなく、真実があるとかないとか、実証的であるとかそうでないとか、そういう議論をやめませんかということです。
いわゆるポストモダン的とされる研究のなかには、「実証」とかいっている人たちよりも、よっぽど史料を読みこんで、真摯に向き合っているものがあります。
逆に、ポストモダン的手法みたいなものを使いながら、いっていることがつまんなく、「実証」的とされる研究がぶっとんだ刺激的な結論を導き出す場合だってあるわけです。
「実証」であるか、そうでないかなんてのは、説得するためのレトリックに過ぎないのであって(このレトリックってやつがやっかいなものではあるのですが)、重要なのはどのような(「リアル」ではなく)リアリティを提示することができるのかということなのではないでしょうか。
そして、それが複数化していく。
これは妄想ですが、ひとりの歴史家があるテーマでひとつのリアリティをつくりだす。
そして、次の論文で同じテーマで、先の自分自身の論文とはまったく異なる、あるいは相反するリアリティをつくりだす。
これは学会的にはタブーになっています(もしかしたらなっていなくて、みんなが(少なくとも僕が)そう思っているだけかもしれませんが)。
このような別の論文で別のリアリティを提示するというかなりきわきわなことをやらないまでも、ひとつの論文のなかで、複数のリアリティを提示することを模索してみてもいいように思います。
自分ができているかはおいておきますが・・・w


リアリティを提示するうえで、重要なのはちゃんと言葉が届いているのかということです。
実際には学会の数人しか読まない論文であっても、その先につながっていく力をもっているかどうか、ここが大切なわけです。
実証的か、ポストモダン的か、なんてのはそのとき届ける(届けたい)先(=読者)によって使い分ければいい。
問題なのは、伝えるべき中身があるのか否かということです。
そして、その「中身」は「あることはわかるけど、どんなものなのかはわからない」ぐらいのほうがいい。
こんなとこでどうでしょう?

ナタリー・Z・デーヴィス『帰ってきたマルタン・ゲール』

久しぶりに、ナタリー・Z・デーヴィス『帰ってきたマルタン・ゲール』を読みました。
最初に読んだのは、大学に入って2年目か3年目だったと思うので、おそらく10年前ぐらいかと思います。
読み直したのは、大学の講義で採りあげようという極めて義務的な理由です。


それで読み直した感想はというと、なによりも読み直してよかった。
おそらく10年前もそれなりに楽しんで読めたはずだけど、今回はより楽しめました。
学生として読んだときよりも、格段にこの本のすごさと広がりを感じることができた。
仮にも、専門家としてのキャリアを積んでいてよかったと思う瞬間です。
おそらく専門家としてのキャリアを歩んでなければ、再びこの本を手に取ることはなかったでしょう。
また、デーヴィスの研究とは比べ物にならないけれど、一応研究論文を書いていることで、彼女がこの本でやろうとしていることのすごさの一端を理解することができたからです。


この本、間違いなく歴史学の名著ですが、残念ながら現在は絶版のようです。
なんとか手に入りやすい状態になってほしいものです。


この本が扱っているのは、16世紀フランスとスペインの国境近くの村アルティガを舞台に起こった奇妙な事件についてです。
奇妙な事件とは、失踪したマルタン・ゲールに、別人(アルノ・デュ・ティル)が成り替わったというもの。
事件の顛末については、この本を読んでいただいたほうがいいと思うので、ここでは触れません。
今回、この本を読みなおして、すごいと感じたのは、エンターテイメント性の高さと学問的安定感と飛躍のバランスのよさという点です。


エンターテイメント性という点では、この事件のポテンシャルの高さということもあるのですが、どれほど素材のポテンシャルが高くてもその良さを引き出すことができなければ(そして、それは歴史学というジャンルにおいては往々にして起こることですが)、学問的意義はわかるけどつまらないものになってしまいます。
デーヴィスは、その点分析的な叙述形態をとるのではなく、物語形式の叙述を採用することで、素材のポテンシャルを最大限に高めています。


学問的安定感という点では、当時同地域の状況や習慣などに目を配り、マルタン・ゲール事件をとりまく地域を物語のなかに極めて効果的に配置していることがあげられます。
これによって、マルタン・ゲール事件についての理解が深まるだけでなく、事件を歴史学の位相にスライドさせていきます。
そのスライドは下手をすれば、わざとらしく感じ、歴史叙述と学問としての歴史学の断絶を提示してしまう恐れがあるのですが、デーヴィスは学問的知識を物語の進展をスムーズに行うための潤滑油として、むしろより物語を盛り上げる形で利用しています。
すごすぎる。
日本の西洋史学者ではこうはいかないでしょう。
自分も含めてですが、改めて、日本の歴史学(少なくとも西洋史)のあり方を考えるべきなのではないかと思ってしまします。
もちろん日本で西洋史を行うことと、欧米(デーヴィスはアメリカですが)で西洋史をすることでは圧倒的に意味が違うことはあるのですが。
それを考慮したうえで、いや、日本という国で西洋史をやっているからこそ、デーヴィスのように、素材と文体と構成のバランスで勝負することのできる歴史学をつくる必要があるのではないでしょうか。


最後に、デーヴィスの学問的飛躍、跳躍力という点です。
この本のなかで、デーヴィスはプロテスタントカトリックという問題をところどころで挟んでいます。
16世紀のフランスでは、宗教改革が問題となっている時期です。
ちなみに、デーヴィスは16世紀の宗教改革が専門です。
プロテスタントカトリックの問題はマルタン・ゲール事件からは直接読み取れるものではありません。
しかし、彼女はこの地域に確実に広がりつつあった宗教改革マルタン・ゲール事件の通奏低音に流れているものとして設定しています。
この本にははっきり書かれていないので分からないのですが、おそらくデーヴィスはプロテスタントの研究を進めていくうえで、この事件と出会ったのではないでしょうか。
これについては、デーヴィスの著書・書評などを丹念に調べていけば、ウラをとれるのでしょうが、それは本質的な問題ではないですし、このブログでの書き込みにかける労力としては大き過ぎるので、ご勘弁を。
閑話休題
このプロテスタントカトリックという問題、史料的には確認しにくい問題にあえて触れることで、この本の射程が圧倒的に広がっているように感じます。
宗教改革という「大きな歴史」をバックグランドにしながら、この事件が動いていく。
そして、実際、この事件を裁いた判事で、この事件の史料を書き記したジャン・ド・コラはこの歴史の激流に飲み込まれていくことなります(X、XI章)。
この「大きな歴史」とミクロ・ヒストリーとの交差点を、ミクロ側にスポットを当てて歴史を描いている手法というのは、歴史学者として一度はやってみたいことのひとつです。
これも推測ですが、デーヴィスはこの事件のもうひとりの主人公として、ジャン・ド・コラを設定しているように思います。
この事件(あるいはデーヴィスの描いたこの本)は真・偽マルタン・ゲールとその妻が主役と言える役回りをしていますが、真の(あるいはウラの)主人公はコラであるように思います。
作家としてのコラについて、かなりの部分を割いて論じているのはそのためでしょう。
この視点から、この本を読んでみるとまた違った感想を持つのではないでしょうか。
このようにこの本は読みの可能性が広がっています。


あまりまとまった文章になっていませんが、なにはともあれ、よい本なので読んでない人はぜひ一度読んでいただきたいこと、すでに一度読んでいる方は時間がたって読み直す価値のある本であることをお伝えできればと思った次第です。

歴史学の提示できるものとは?

大学が始まり、すでに3回講義が終わりました。
ようやく日常生活のペースをつかみ、講義の準備と並行して、なんとか研究時間を確保できるようになりました・・・と思いきや、舞いこんでくる雑用の数々。
「本当にオレがやらなきゃいけない仕事なのか!」
と、誰かに罵倒したくなりますが、現実はそんなことできるわけもなく、粛々とこなしています。
雑用が多いんですよ、秋冬は・・・(いや、雑用のない季節なんてここ数年ずっとないか)。
季節とともに、心も寒くなります。


さて、今回はいま考えていることを言葉にしておこうと思います。
それは、歴史学がいま社会に何が提供できるのか、あるいは目指すべき着地点はどのようなものなのか、ということです。
いきなりでかい問題をなぜにいまここで、と思うのですが、週1回の講義といえども、仮にも人に物を伝える仕事をするようになり、いったい歴史学にいま何ができるのか、という問題について、端的に応える必要があるのではないかといままで以上に思うようになったことが直接の理由です。
というか、大学に入って、まともに考えたことといえば、このこと以外ないんですがねw


何か革新的な結論が見つかったとかそういことではなく、普段から考えていることを文章化して、まとめておこうかなという程度です。
そもそもこのブログ(らしきもの)はそのために始めたわけなので。


端的に言ってしまえば、歴史学が今できることは、「不確実性」の提示ということではないでしょうか。
通常、歴史学は「確実性」に向かっていく学問だと考えられています。
それができるかどうかはともかく、「対話」によって一番落ち着きのいいところに結論を下し、一定の「確実性」なるものを担保しよう、ということが、ポスト言語論的転回の歴史学内でさかんに言われてきた印象があります。
僕はこのような態度にずっと違和感を感じてきました。
そもそも「対話」が同意にいたるという前提が怪しい。
同意できることなんてどうでもいいことで、同意できないことのほうが面白いことだって世の中にはあるだろうと思ってしまいます。
自分はなぜ同意できないのか、同意したくないのか、それを考えることが面白いんじゃないだろうか。
そこで担保されているのは、自分の「正しさ」ではなく、世界の「不確実さ」でなければならないんですが。


「歴史は不確実である、ゆえに確実性を求めるべきである」というのは、まったくもって論理が破綻している。
まあ、この破綻が面白いとも言えるんですが、その面白さついてはひとまず置いておくとして(実を言えば、この論理破綻は個人的には結構好きです。ただ、この「破綻」を考える必要を感じていない、あるいは無いものにしようとする、さらには自覚するにさえ至っていない歴史学者は軽蔑していますが)、歴史学者が提示できる何かがあるとすれば、「歴史とは不確実なものである」というこの一点につきるのではないでしょうか。
これはなかなか難しいかもしれない。
最近(というか、「ここずっと」といったほうが正確でしょうが)、「記憶の歴史」ということが行われていますが、それは「不確実さ」を提示する歴史学としてのひとつのオプションでしょう。
しかし、これは少々ナイーブな気もします。
むしろ「記憶」の生成の場、言い換えれば、「歴史」が創られるその場を問題にしたほうがいいように思います。
おそらく、質のいい「記憶の歴史」はそのことを論じているわけですが。


とりとめもなく、漠然とした内容になってしまって、分かりにくくなってしまいましたが、思考プロセスということで、とりあえずはご勘弁を。
自分の研究の指針としているのは、どこまで「不確実性」に肉薄できるのか、ということです。
そして、その先に「文化史」の未来があるように思います。
「文化史とは、不確実性を志向する歴史学である。」
そうなるといいかなと思っています。
「文化史」という名前からは大きく逸脱していくような気がしますが・・・。
「文化」とは本来不確実であるはずの諸事象を「確実」なものにならしめている何ものかであって、不確実性をあぶりだすことで、「文化」たる何ものかを可視化する歴史学が文化史なのだ!!
という、たったいま思いついた強引な定義をすれば、「文化史とは、不確実性を志向する歴史学である」というテーゼを主張できるのではないでしょうかw


妄想はさておき、確実性に至ろうという態度とは異なる意味において、不確実さに向かっていく歴史学ができないものかと思案、実践中の今日このごろです。

雑用は増える、ゆえに進まず

9月も半ば、あと2週間もしないうちに、大学が始まる・・・。
にもかかわらず、雑用を片付ける必要があり、本来すべきこと(研究や授業準備)が遅々として進まず、困ったもんだと思っている今日この頃です。


お知らせとして、自分の専門の論文が出ましたので、ご報告を。
細かい情報はここでは触れませんが、そのうち抜刷りができてくると思うので、必要な方は連絡をいただければ、お渡しします。


それはさておき、このところ、なぜか小説ばかりを読んで、学術関係の本を読んでいないので、ネタがないなーと思いつつ、困っていたところ、ふと昔読んだ(はずの)マルセル・デュシャンデュシャンは語る』を手に取り、読み直そうと思い立ち、現在、読んでいるところです。
デュシャンについてさほど造詣が深いわけではなく、単にファンなだけなので、なにかまともな意見がいえるわけではありません。
そもそもこの本を読んだとき、デュシャンについてほとんど何も知らない状態で、ただ現代芸術家として認識していたぐらいです。
では、なぜデュシャンの本をわざわざ買って読んだのかといえば、これまた特に理由らしいものはなく、単に芸術家について知っておくとかっこいいかなーぐらいの浅はかな考えから手に取ったような気がします。
まだ大学生のころなので、若気のいたりと許していただきたいところです。
自分の読書癖として、基本的には自分と関わりのあるものを読んでいるのですが、20冊に1冊ぐらいの割合で、自分とはまったく関係のないジャンルの本を手に取ることがあります。『デュシャンは語る』もそのような類いの本です。たいてい、この手の本は本棚のインテリアと化してしまうことが多いのですが、それでもそのうち何冊かは読むので、そこから新たな「言葉」を獲得することがあります。


僕にとってデュシャンもそのような存在です。
ですが、この本を読んでというよりも、数年前、日本で行われた展覧会(正確な名前は忘れましたが、「デュシャンと・・・展」ようなタイトルの展覧会)を見て、かなり刺激を受けたことがきっかけです。何がどうということはないのですが、デュシャンの作品がとにかくかっこよかった。
頭悪そうな表現で申し訳ないのですが、あまり批評的に語ると陳腐になってしまいそう(というか、そもそも批評できるほどの知識がないのですが)なので。
それ以来、僕のなかでデュシャンは特別な存在になったわけです。といっても、とうてい熱心なファンとは呼べません。
がつがつデュシャンについて調べたわけでもありません。
ただ何となく特別な存在なのです。
これではあまりに芸がないので、もう少し具体的に言いますと、
デュシャンの作品は、僕にとって理解の限界域ギリギリにあるものなのです。
もちろん作品解説や評論を読めば、その解釈について理解できることはあるでしょう。
しかし、そのような理解ではなくて、彼の世界と自分の世界の接合点はどこにあるのか、ということを考えさせてくれるようなもの。
そして、それは理解の可能性ではなく、無理解、あるいは誤読の可能性へと回路を開いてくれるもの。
僕のなかでは、デリダの本を読むと同じような刺激を受けます。


最近、よく思うのですが、わかることの快楽よりも、わからない快楽のほうがより刺激的なのではないでしょうか。
「わからない」と、自分の頭の悪さにいらだちもするのですが・・・orz。
それでも、「わかる(と勘違いしている)」ものよりも、「わからない」もののほうが新たな「可能性のひきだし」を増やしてくれるように思います。
おそらく、「わかる」という要素と、「わからない」という要素がうまくブレンドされているものが、より刺激的なコンテンツとして機能するのでしょう。
3:7ぐらいの割合がハードな感じでいいんじゃないでしょうか。
そういう論文を書けたらいいですね。
「なんとなくわかるけど、難しい」という感想を持ってもらえるようなものを、死ぬまでに書いてみたいものです。


巷の「わかりやすさ」信奉はいかがなものかと思っている今日このごろ。
久しぶりにデュシャンの本を手にとって、考えたことをつらつらと書いてみました。
ちょっとは更新しておこうという気になったので。
本の内容については、また書く気になったら、書くかもしれません。